┃┃┃┃┃┃┃Engage サンプル 

「えー、本日はお日柄もよろしく……まぁそんなわけで、乾杯!!」

 一心の、なんとも適当な乾杯の音頭でこの会の幕は開けた。
 なにが始まったのだか参加者でさえ解らなくなりそうなあの挨拶。事情を知らない人がいたなら首を傾げたに違いない。
 だが幸いにも、このご披露会という名のパーティは招待制で、招かれている方も招いている方も、会の趣旨についてはとっくに了承している。なんのためのどういうパーティだか全員が理解しているのだから馬鹿丁寧な挨拶で折角の冷たいドリンクを温めることもあるまい、というのが持論の一心なので、乾杯の音頭も適当になるのは否めなかった。

 満足そうにシャンパングラスを傾ける一心の隣で息子は恥ずかしさに頬を赤く染めている。そしてその隣では、ポーカーフェイスで一心と同じようにグラスを傾けている男がいた。
「……親父っ、もうちょっとどうにかならなかったのかッ?!」
 あまりにあまりな挨拶に頭を抱えた一護はマイクを奪って一心に言い募るが、だからどうした、と本人に気にする様子はない。
「ならん。というかもう始まってしまったものを今更ごちゃごちゃ言ったところでどうしようもないだろ」
 一心のあの音頭でパーティの幕は開けてしまった。招待客はシャンパンのグラスを傾けている。改めて乾杯の音頭を、なんて言う方が間が抜けている。確かに、もうどうしようもなかった。
「いやでもそこは大人としてだな……!」
「ほぅ、いっちょまえに大人だなんて言うようになったか馬鹿息子」
 グダグダなのはちょっと避けたいのだが、と言う息子に一心はカラカラと笑う。この親父には言い返すだけ無駄だ。そんなことは生まれてこの方何十年の付きあいなんだから解りきっている。まだまだ文句は言い足りないが、祝いの席でもめごとは避けたい。ぐ、っと我慢した一護の肩をトントンと叩いて雨竜が笑った。
「君も成長したな」
「石田……」
 人前で笑うようになったお前だってたいした成長だ。口に出さずに思い、一護は再度父親にマイクを渡した。
「えーでは改めて、本日は我がクロサキ医院の2代目披露会に集まってくれてありがとう!」
 招待客は殆どが一護の友人で、極小規模。空座町内の病院関係のお偉いさんなど来ていない。最年長は一心なので、どうにも砕けた調子になる。
 どちらかと言えば
「よし、一護の2代目就任をダシにパーティやろう! 若い子呼んで飲もうっ」
 という思いつきから始まった会なので、改まる必要など一切ないだろう、と言うのが一心の弁だ。
 それでも招待状に始まり、それなりに準備をした上で開いているのだから(どうせ最後は酔ってワケ解らなくなってしまうのだろうし)せめて最初の挨拶くらいはちゃんとして欲しい、というのが息子の主張だったりする。
「いやぁ、どうなるかと思ったけど、医者になっちまったよウチの息子」
 グリグリグリ、と頭を撫でられた一護は、なにするんだ、と手を払う。相変わらず仲の良さそうな親子に、会場内から笑いが起こった。
「まさかなァ。後継ぐとか言いだすとはなぁ」
 うーん、と目を閉じた一心はニヤリと笑う。
「でも、奥様方の人気は到底俺には及ばないだろうし、この顔じゃお子さんだって恐がるよな」
 どうするつもりだ、一護。
 と訊ねられれば、その息子はニヤリと笑い返した。
「残念ながら、子供ってのは本能で良い人と悪い人を見分けるんだよ。これでいて子供受けは悪くないんだ。お生憎さま」
「……いやぁ、お前の顔が恐いから良い子にしてるだけじゃないか?」
「えぇっ?! マジでか?」
 驚く一護に、また会場が笑った。
「なんて漫才はさておき、これからは徐々に代替わりさせてもらって、俺は悠々自適な隠居生活でもさせて貰おうかと思う」
「……隠居?」
 そんな話は聞いていないぞ、と驚いて一心の顔を見た一護に、目を合わせた当の父親は平然として言った。
「ほら、裏のお宅が空家だったろ。安く借りられるんだよこれが」
「借り……えっ?」
 あっけらかんとした物言いに、一護はぽかんと口を開けた。
「俺はあの家を出てくんだよ。いつまでも息子のお守は疲れるからなぁ。残念だけど、俺もいつまでも若いイケてるオジサンじゃないんだよ。お前の相手してたら老けちまうじゃないか。そういうことで、今日以降クロサキ医院の責任者はお前ってコトでよろしく」
 手続きはやっておいた。任せろ。
 グッ、と親指を付きたてる一心の手を押し下げ、一護は言う。
「そんな突然! っていうか有り得ねぇ! 出てくたって親父、そんな近くだったらウチに居れば良いじゃねぇか! それにオジサンならとっくに若くねぇだろっ!」
「なに親離れできてないようなこと言ってるんだ。後継ぐって言うのはそういうことだろうが。良いんだよ、俺は艶男とかチョイ悪オヤジ目指してるんだから。ありゃ若いだろ、気分が」
「いやいやいや、古いって! 古いってそれはっ!」
 あまりに突然の交代劇に、本人が一番ついていかれていない。招待客もヤラセではない様子に一瞬ざわついたものの、一心のキャラも良く知っている人が多いせいか徐々にざわめきは静まり、一護ばかりがテンパっている状態になってしまう。
 一心がマイクを握り、隣で一護が半分パニックを起こして怒鳴っている。これで医者だというんだから、本当に彼に任せても大丈夫だろうかと心配になる。一心のような安定感や安心感は、まだ年若い一護にはない。こんな素の部分は患者には見せないだろうけれども、この場に呼ばれている人たちは一護に診てもらおうとは思えないんじゃないだろうか。
 他人事のように思って、司会がいないがゆえにグダグダになりかけているのを見かねて溜息を吐いた男が動いた。
「あのー、申し訳ないんですけど、お父さん」
 壇上で揉めている2人(と言うよりも、一方的に一護が納得できないと言っているだけなのだが)に冷静な声がかかった。
「そういう話は、また後で」
 ニコ、と笑っていったのは、何故か黒崎親子と一緒に壇上に上がらされていた雨竜だ。
「あぁ雨竜君」
 思いだしたように一心は頷く。
「一護だけじゃ心配なんで、今後事務その他諸々としてお手伝いしてくれる石田雨竜君だ。このたびめでたく、クロサキ医院のスタッフとして働いてくれることになった、一護の高校時代からの、あ〜……――オトモダチだな」
 微妙な間を取りやがって、と呟いた一護に、雨竜は苦笑いした。

 会場に呼んでいる高校時代からの友人たちは、みんな自分たちの関係を知っている。明確に知らないのは、大学時代のそれぞれの友人くらいだ。
 それだって、隠しておきたくないと思えるような付き合いの友人には話してある。理解してもらえずに距離をとられ、最終的にそれが原因で離れていくなら、それはそれで仕方がない。
 男同士なんてイレギュラーだ。そんなのは当人たちが一番良く解っている。物珍しさで騒がれるのは嫌だから、そうそう公にするつもりはない。
 でも、やっぱり隠したままにしておくのは気持ちが悪い。特に一護は今だ不器用なほどにまっすぐな部分を失わずにいるから、すぐ話そうとしてしまって、その度に雨竜にたしなめられている。
 片や雨竜は、一護と違って相変わらず周囲にいる人間が増えることが少ない。かつてのように遠ざけているわけではないのだけれども、自分から積極的に関わろうとすることが稀なのでどうしても友人は一護の方が多くなる。それは、出逢った頃から変らない2人の性質だ。
 ふ、と壇上から下を見れば、高校時代の友人たちが最前のテーブル席に座っている。今日のパーティは食事はビュッフェだけれども席はちゃんと用意されている。テーブルがないと食事しにくいじゃないか、という一心の主張でテーブルも用意されたのだが、会場が少々狭く感じられるのがもったいない。と言っても結婚披露宴ではないので花嫁がいるわけではなく、パニエで膨らませたドレスで歩き回るわけではないからこれでも十分なのかもしれない。
 雨竜の視線に気付いた水色が小さく手を振って、隣に座る啓吾を肘で突付く。啓吾は笑って雨竜を指した。
 指差された雨竜は、意味が解らずにパチクリと瞬きする。
『お幸せに』
 口パクで水色と啓吾が言う。
 ぱちぱちと何度か瞬きした雨竜は、少し考えるように首を傾げてからにこりと笑い、目立たないように小さく、でも確かにグッと親指を立てて見せた。