┃┃┃┃┃┃┃ 不思議の国の恋迷宮サンプル
「黒崎は、大丈夫ですよね？」
ほんの１時間ほど前、僕は浦原商店の一室で店主に詰問いかけていた。
「いや、そう簡単に判断出来る話じゃ……」
浦原喜助が困ったような顔で隣を見た。その視線の先には布団が敷かれていて、オレンジ色の髪をした男、黒崎一護が寝かされていた。
先ほどから、黒崎は目を瞑り、眠っているように見える。その呼吸は、限りなく浅く、顔色も青白く生気もない。虫の息、と表現したくなるような状態だった。
「黒崎はどうしちゃったんですか?!」
「だから、それはアタシが聞きたいことなんスよ」
浦原喜助は大きく溜息を吐く。
「いきなりぐったりした黒崎サンを連れて来られてもですね、こっちだって戸惑いますよォ。なんの説明もなしに、なにもかも解ってるなんて思われちゃねぇ……そりゃ、買い被りってもんです」
確かに、少し慌てすぎていたかもしれない。１つ、大きな深呼吸をする。自分でも、黒崎が倒れたことで自分がここまで動揺するなんて、思っていなかった。
彼が倒れた理由。それは、今日自宅のポストに入っていた本が原因であろう。消印のない白い和紙に包まれたモノ。住所すら書かれていない。ただ、達筆な『石田雨竜様』という文字のみが、黒々とした墨で書かれていた。
間が悪いことに、その場には黒崎がいた。何の断りもなくついてきて、当然というような顔で僕の部屋にいる。テーブルの定位置に腰をすえ、僕の手の中にある包みに注目していた。
「なんだ、それ」
「知らない。でも、住所も消印もないなんて怪しすぎる」
明らかに興味津々な黒崎を見て、触るなよ、と念を押して僕は着替えに行った。それが、そもそもの間違いだったのだ。
「あ、こら黒崎！」
戻った時、黒崎は包みを手に持っていた。触るのではないか、と思っていたのだ。予想通りの行動すぎて嫌になる。さっさと触れられない場所に隠してしまうべきだった。
と、思っても後悔先に立たず。
「触るなと言っただろう」
黒崎の手から包みを取り戻して言えば、この男はむくれた顔をする。
「だって、何が入ってるか気になるじゃねえか」
「気になっても！ 怪しいものには触れないのが一番なんだ。そんなことも知らないのか君は」
だって、だなんてガキなのかお前は。
そう突っ込むと、どうせガキだよ、と上目遣いに言って、こちらのスキを奪って軽いキスをする。
僕は思わず顔をしかめた。
「僕は今、うがい手洗いを済ませてきたんだ」
「おう」
「なのに、うがいをしてない君とキスしてしまったら意味がないじゃないか」
もう一度消毒しないと。
僕の台詞に黒崎は目を細める。
「俺はバイキンか？」
洗面台まで付いてきて、僕の後に同じコップでうがいをする。手も洗ってタオルで拭くと、そのまま何となく黒崎の動向を眺めていた僕の顔を覗き込んできた。
「うがいしたぞ」
「見てたよ」
「ってことは、もうバイキン扱いしないな？」
「うん？」
にんまり笑った黒崎は狭い洗面所で迫ってくる。半歩も下がらないうちに背中が壁に当たり、逃げ場がなくなった。
「だったら、逃げるなよ」
「訳も解らず寄って来られたら、誰だって逃げ――」
「訳解らなくはないだろう」
俺を誰だと思ってるんだ。
黒崎は、やっぱり訳の解らないことを言って距離を詰めてくる。
トンと小さな音を立てて、その右腕が僕の頭の横へと置かれる。腕を視線で追うと、今度は左手で黒崎の方へ顔を向けられる。
近付いてくる気配にほぼ反射的に目を閉じる。
最初は甘く、それから徐々に深く、何度も唇を重ねられた。それはあまりに長いもので、苦しくなってきて、思わず黒崎の胸を押してしまう。
あまりに長い時間続いたキスに朦朧としてくる。やっと放してくれた時、黒崎の肩越しの鏡に映る自分の顔があまりも紅くなっていて、余計に恥ずかしくなった。ふ、と視線を送れば、黒崎の顔も同じように上気していて、なぜか笑いが溢れた。
「……ふ……っ」
肩を揺すって笑う僕を変な顔で見て、黒崎は洗面所を出ていった。
その背中を見送って、口元を拭った僕もリビングへ戻った。
「黒崎！ だから触るなってッ！」
またしてもテーブルの上に放り出してしまっていた包みを、黒崎が手にしている。
それどころか、丁寧に剥がされたらしい和紙はきれいに畳まれていて、黒崎の座る右側に置かれている。そして、剥き出しにされた中身は、重厚な革製の表紙の本だった。
「なんだ。ただの本じゃねえか」
「なんだ、じゃないだろう」
つまらなさそうに言う黒崎の手から、本を奪い取ろうとする。けれども
「別に危険なものだったわけじゃないんだから、ちょっとくらい良いだろう」
と、黒崎は手を放さなかった。
「誰からのプレゼントなんだろうな。オヤジさんから？」
黒崎は本をめくろうとする。それ以上触るな、と止めながら僕は言った。
「包みに書かれていた字は、あの人の字じゃなかったよ。良いから早く返せよ」
「そうか」
じゃぁ、誰からなんだろう。などと言いながら、全く警戒する様子なく、黒崎は何気ない動きで表紙をめくった。
「あっ！」
どこの誰が送ってきたのか全く解らない、はっきり言って怪しいとしか言えないものを、よくもそう無造作に開けられるものだ。
「あー？ なんだぁ、コレ」
パラパラと中身を見ていた黒崎が眉をひそめた。
「なんだよ」
「これ、中身書かれてないぞ」
「は？」
じゃぁ、ただのノートなのか？
つい、僕も黒崎と一緒に本を覗き込んでしまう。が、そこには、ちゃんと字が書かれている。かと言って、黒崎の発言が完全に嘘というわけでもなかった。
「まだ、書き途中……なのかな」
ところどころ文章が書かれている。けれども、一部の登場人物の名前、台詞が明らかに抜けていた。
「っていうか、これ、本として成り立ってんのか？」
「さあ……もう、印刷されてるよね、この本」
だったら、名前や台詞は読み手が好きなものを書き込む、ということなのだろうか。
そんな本、聞いたことがない。
しばらくパラパラと見ていたものの、数分後ようやく飽きたらしい黒崎はやっと本を閉じた。
「気が済んだなら、返してもらおうか。一応、どんなに怪しいものであれ、僕宛に届けられていたようだしね」
「うん……あ、この表紙」
黒崎はじっと表紙を見つめ、真ん中を指さした。
「なんか、手形みたいじゃねえ？」
にんまりと笑うと、その手形に自分の掌を当てようとする。
「そういう不用意なことは止めろよ」
僕の制止の言葉も黒崎には届かない。
「何があるってんだよ」
今にも手を置きそうなポーズで、黒崎は僕を見る。
「例えば、呪われる……とかさ」
「はあ?!」
黒崎は素っ頓狂な声を上げ、腹を抱えて笑い出した。
「え、石田、それマジで言ってんのか？」
ゲラゲラ笑い転げる黒崎の手から本を取り戻そうとしたが、抱えてしまっているものに手を出すことができなかった。
「呪われ、ってなんかそれ、オカルトもんの見すぎだろ。おかしいヤツって思われるぞ」
「オカルト、って黒崎は言うけど」
僕は少々気分を害する。
「君の、高校生兼死神代行っていう自称だって、一般の人間が聞いたら十分に『おかしな人』の部類だと思うよ」
「おかしな人……」
一瞬、驚いたような顔をした黒崎だったが、だが直ぐにいつも通りの仏頂面になる。
「いや、俺は一般人の前で、死神やってるんだぜ、なんて言わねえし」
「僕だって、誰にでも滅却師だって言うわけじゃないよ」
「それに、俺の死神姿は、一応フツーの人間には見えないし」
「…………」
それは、確かにそうだ。反論できない。
「誰にでも滅却師だって言わないっつっても、石田あの真っ白い格好で街中歩くじゃねえか。いくら基本は夜中にしかしてなかったって言ってもなぁ。あれ、誰にでも見えるだろ。何かのコスプレにしか見えねえぞ。勇気あるな、お前」
「バカにしてるのか！」
そんなことは良いから、本を寄越せ！
明らかに笑いを含んだ声に、ムッとした僕は勢いで本を奪おうとする。
「わ！ 危ねえな！」
奪われまいとした黒崎の手が、表紙の手形に触れた。
「――っ！」
黒崎は息を呑む。
「黒崎?!」
妙な反応に驚いてその手を取り、表紙から引き剥がし確認してみるが、異常はないようだった。
「だから言ったじゃないか！ 不用意に触るなって」
「あー悪りィ。なんか興味あるとつい手が伸びてな」
黒崎は、自分の手の平をじっと見つめながら言う。なにか、違和感でもあるのだろうか。少し不安になる。
「なんか、グッて張り付いたような痛いような感覚があったんだけど。気のせいだったのか？」
じっと見つめている僕よりも少し大きな手の平は、いつも通りに見えた。
「特に、針だとかそういう類のものが仕込まれてはいないようだけど」
僕は慎重に指先で表紙をなぞる。
「うん、なにも変なところはないよ」
「うーん」
なんか変な感じだった、ともう一度繰り返して、黒崎は本を睨んだ。
「ま、いっか。それ、どっかに片付けて来いよ」
「あのね。僕が片付けようとしているのを勝手に手に取って見ていたのは誰だったかな？」
「ああ、俺か」
黒崎は全く反省のない顔で言うと、両手を伸ばしてきた。
「石田」
「何だよ」
「邪魔したのは悪かった。だから、早くそれ片付けて仲良くしようぜ」
「仲良く？」
意味が解らずに首を傾げると、黒崎はなんともわざとらしい溜息を吐いて少し伸び上がり、彼を覗き込むように中腰だった僕の頬にキスをした。
「な・か・よ・く！ しようぜ？」
「な……」
また、頬が熱くなるのが解った。
馬鹿なことを言っている、と一蹴してしまえば良いのに、それが出来ない僕はやっぱりおかしい。黒崎といると、調子が狂う。
口を固く結び、黒崎に背を向ける。
さて、この本をどうしたものか、と思案すること数秒、背後で、どさりと何かが落ちる音がした。
何だ、と思って振り返ると、黒崎が苦しそうな表情で床に転がっていた。
「黒崎、黒崎ッ！」
驚いて抱き起こすと、黒崎は困ったように笑った。
「大丈夫だって、ンな顔すなよ」
「大丈夫なら、倒れるなよ馬鹿」
「ん」
黒崎の笑顔は弱弱しい。そんな顔見せられるくらいなら、正直に苦しんでくれた方が良い。男の強がりを無下にしたくはないし、でも心配なことに違いはない。僕は困惑するばかりだった。
「体調が悪かったのかい？」
額に手を当ててみるが、熱くはない。冷たいくらいだ。
元気、だったはずだけどなぁ、と黒崎が呟いて、また顔をしかめた。
――この、馬鹿！
病気なら、病院だ。彼の実家に連れて行ってもいいが、距離的には空座総合病院の方が僅かに近い。大病院の方が、様々な施設も揃っている。
救急車、か？
電話に手を伸ばしかけて、まだ持ったままだった本が目に付いた。
「まさか」
これが原因ということはあるだろうか。
ともかく、大事になる前にどうにかしたい。
僕は、黒崎を抱え上げると浦原商店を目指した。
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石田さんが黒崎さんを助けるために奔走する話、のはずが、さして奔走はしていません。
ややこしい選択肢はありません。１度大きな部分を選んだら、そこでもう一度分岐してエンディング、といった感じです。
説明下手ですみません。エンディングは７種かな？ご用意しました。