┃┃┃┃┃┃┃ てのひらに傷を てのひらにキスを  

「本ッ当にボロボロだな」
「うるさい」
 雨竜の腕に巻かれた包帯を指差した一護が言う。露骨に嫌な顔をして、雨竜は一護に背を向けた。
「どうでも良いじゃないか、放っておいてくれよ」
「良くねえだろ」
 指差す右手を払いのけようとした手を、そのまま掴んで一護は歩き出す。
「どこに行くつもりだ。離せ、黒崎」
「保健室。」
「何を言ってるんだ。大丈夫だってば!」
 一護から逃れようともがこうとする雨竜は、身を捻った瞬間に腕全体を走る痛みに息を呑む。
「言わんこっちゃない。全然大丈夫じゃねーな、ソレ」
「君には関係ないだろう?!」
 勢い良く腕を解き、痛みに顔を顰めながら雨竜は言った。
「君にだって解ってるじゃないか。これは君の気にすることじゃない。全部僕の責任だ。だから――」
「だから、放っておけってか? いい加減にしろ、お前」
 ピシャリ、と言われた言葉に雨竜の表情が固まった。
「そんなにワザとらしく仰々しく包帯巻かれたんじゃ、目障りなんだよ」
「ワザとらしく…ってそんなつもりは毛頭ない! 見なきゃ良いだけじゃないか、見るなよ。それなら気にならないだろう」
「お前、自分が俺より前の方の席だって忘れてんのか? イヤでも目に入るっての!!」
 ぁ、と小さく呻いて、雨竜は黙ってしまう。
「取り敢えず、その解けかけの包帯、巻き直すからな」
 一護は言って、雨竜を保健室へと引っ張っていった。

 保健室には、丁度誰もいなかった。
「おう、こりゃ良い。勝手に使わせてもらおう」
 手を洗って消毒液や包帯を取り出し並べる一護をぼうっと見て、雨竜は不思議そうに呟く。
「妙に慣れてるね」
「俺の家、医者だぜ」
 当然だろう、と言う一護に
「てっきり、喧嘩慣れの方かと思った」
 雨竜はまだ惚けたような様子で言った。
「お前って本当、失礼だな」
「…うん」
「ソコは、否定しろよ」
 どこかピントのズレた遣り取りに一護は苦笑いして、椅子に座らせた雨竜の足元に跪く。膝の上で組まれた指を解いて包帯を外すと、スルスルと剥がれ落ちる下からまだ血液の滲んだガーゼが見える。
「あぁ、これ…薬は?」
 ガーゼを剥がしながら訊ねると
「家にあったヤツを…」
 雨竜は消え入りそうな声で答えた。
 病院に行ったのでは、何故こんな傷を負ったのか聞かれるに決まっている。場合によっては非難される。うまく答えられないから、きっと自分で処置したのだろう。
 それにしても、痛々しい。肌が白いから、腕も折れそうに細いから尚更だ。
「じゃ、帰り家に寄れ。親父から薬奪ってくるから」
「――…ん…」
「ウチなら、こんな傷作ってきてもゴチャゴチャ言わねえぜ。
 細かいところまで詮索しないから、今度怪我したら来いよ」
 反応のない雨竜を見上げると、自分の腕を取る一護の指先を見ていた。
 あまりに無表情なので、反対に気になる。
 ――まぁこいつが何を考えていようと、俺には関係ないか。
 思い直して、一護は手際良く雨竜の手を消毒し始める。

 この指が。
 まだ血がついてしまう消毒用のガーゼを取り替えながら、一護はじっと雨竜の手を見詰めた。それに気付いた雨竜は嫌そうな顔をして顔を背ける。
 この指が、この細い指が、頼りない指が、全てを守ると言っていたのか。
 俺を、助ける為に動いたと言うのか。
 胸の奥が疼くような、奇妙な感覚に一護は顔を顰めた。

「・・・・・」
 下から見ると、何を考えているのか斜め上を見ている雨竜の表情は僅かに緩められているように見えて、一護はつい出来心で、その手を軽く持ち上げ頬擦りするように顔を寄せる。ひんやり冷たい手が気持ち良い。
「――っ?!」
 突然の感触に驚いた雨竜が一護を見る。
「な…黒崎! 何やってるんだ、君」
「あー?」
 別にぃ、と答えて再び消毒を再開した。
 別にも何もないだろう、妙な事しないでくれ。雨竜が小さく非難がましい声を上げる。
 あぁうるせぇ。意味なんてねえよ、多分。
 思いながら手を引っ繰り返させる。すると、一箇所だけ他の箇所に比べて損傷の少ない場所を見つけた。
「ここだけは傷ついてないのな」
 傷のせいで周囲まで僅かに桃色に染まっている腕とは違い、その掌は白く、だからかヤケに綺麗に見える。
「うん、そうだね…」
 興味なさそうに雨竜は答え
「ふぅん…」
 そんな様子を眇めて見た一護は、雨竜の手を取り、殆ど衝動的に――噛み付いた。
 プツリと音がして口の中に鉄の味が広がる。
「痛ッ」
 引っ込められそうになる腕を、一護は掴んで離さない。
「――痛いか?」
 無表情に抑揚なく訊ねると
「当たり前だろ! 本当に、何考えてるんだ。
 治療するって言いながら、それじゃ傷増やしてるじゃないか」
 今度は明らかに非難と軽蔑の混じった視線を投げられる。

「何も。」

「?!」
 平然と答えると、雨竜が惚けた。
 理解の範疇を超える一護の行動に、どうやら頭がオーバーヒートしたようだ。
 きつく噛んだせいで血の滲んだその掌に、今度は優しく唇を寄せる。
 関連性の見えない無意味の集合とも思える行為に、今度こそ完全に雨竜の思考は停止した。
「石田?」
 名前を呼んでも返事がない。
 ただ一護のされるがままに手を取られ、硬直している。
 ――このまま、今度は手の甲にでもキスしたら、忠誠のキスってのになるのかな。
 こんなヤツに忠誠を誓うつもりなんて、小指の爪の先ほどもないけど。

 でも、そうでもしたなら傍に居ることを許してくれるだろうか。 
 一護はちらっとそんな事を考えてしまう自分に苦笑いして、自分がつけた噛み傷も消毒して包帯を巻く。
 片や雨竜は、包帯を巻き終わるまで何の反応も示さなかった。

「その傷が治るまで、俺が面倒みてやるからな」
 両腕に包帯も巻き終わり、借りていた道具を棚に戻しながら一護は言う。
「迷惑だ」
 漸く返事をするだけの余裕を取り戻した雨竜が答えた。
「お前、この町の人全員に迷惑かけたこと、忘れた訳じゃないだろうなァ?」
 その言葉に、雨竜は苦しそうな顔をして顔を背ける。相手が黙ってしまったのを良い事に、一護は宣言した。
「無理しちゃ治るもんも治らねえ。だからだ。それ以上でもそれ以下でもねえ。
 お前だってそのままじゃ不便で困るだろ。さっさと治しちまえ」
「・・・・・」
 雨竜からの返事はない。
「帰るぞ」
 雨竜の鞄も一緒にとって、一護は保健室のドアを開けた。が、椅子に座ったまま動く気配のない雨竜に気付くと、引き返してきて細い肩に手をかける。一護の手が触れた瞬間、ビクン、と怯えるように震え、雨竜は身体を縮ませた。
「おい」
 何を怯える必要がある、と強く揺すれば、一瞬目が合う。立て、と促して立たせても、雨竜はまだ頭を下げたまま。

「解ったよ、黒崎。
 ――この傷が、治るまでだからね」
 俯いた雨竜の喉から絞り出された声は、掠れていた。