無性に――逢いたい・と思った。
でも、そんな事を言える筈もなく、気付いたら、足が彼の家へと向かっている。
これでは、付きまといとなんら変わりない。擦れ違っただけの相手に恋して、思い込んで、じっと見詰めているのと一緒だ。
――気付かれたら、引かれるな。いや、嫌われるか…
今でも好かれているとは思えないから、いっそ嫌われでもした方が相手の中には残るのかもしれない。
ぼんやりと考えながら、雨竜は夜風の中を歩く。
ひんやりとした風が心地好い。
でもその冷たさは、胸の熱を奪うわけでもなければ、沸騰寸前の脳味噌を冷やしてくれるわけでもない。まるで、意地悪でもしているかのように、焦らしているかのように、その部分だけ避けて、身体を冷やしていく。
――もう少し、服、着てくるべきだったかな。
ザァッと吹いた風に、前髪を巻き上げられる。顔に張り付く髪で、風がじっとりと湿気を帯びてきた事に気付く。
雨、降りそう…
見上げた空に、星はない。
都会の空には、星など最初からあってないようなものだ。存在するのに見えない。
まるで、心と一緒だ。
チラチラと、表情や言葉の端々で見え隠れするのに、完全に見えることはない。そして、いつしか雲が立ち込めるように見えなくなってしまう。いくら目を凝らしても、見えなくなってしまう。
逢いたいのは、自分だけ。
声を聞きたいのも、自分だけ。
こんなにも求めてしまうのは、枯渇しているのは、きっと自分だけだ。
いっそ、もっと簡単に求められる相手を好きになれば良かったのだ。それならば、こんなに苦しむことはなかった。
好きだ、と言ってくれる相手に心が揺れる時がある。
自分の何が好きなのか解らない。どんな像を作って、何を求められているのかも解らない。けれど、相手の望むような人物を演じていれば、簡単に愛情のようなモノも手に入る気がしてならない。
――でも、そんなものは要らない。
我乍ら、どうしたいのか解らなくなる。
「石田君が、好き」
…ありがとう、でもきっと僕は…君が考えてるような人間じゃないよ。
「私が――嫌い?」
嫌いも何も、僕は君の事を知らない。
その一言は、相手を痛く傷つけるらしい事に、最近気付いた。
自分が言われて、初めて気付いた。
『知りもしないで適当なこと言うなってな、当たり前だろ。
俺はオメーの事なんかなにも知らねェんだから』
「だったら、ゆっくり知って貰えれば良いから。だから、お友達でも…」
知って、それでどうしろって言うの?
――『君』は僕のことを知らない。本当は、もっと知って欲しいのに。
「だから…それで、判断してくれれば良いから」
判断…
――僕は『君』のことを知らない。本当は、もっとたくさん知りたいのに。
「付き合って、くれるかどうか」
それなら、今だって出来るよ。
――『君』には、手が届かない。届かない。
「…え…っ?」
付き合えない。ごめんなさい。
――どんなに伸ばしても、この手は『君』に届かないんだよ、黒崎一護。
「――ッ…!」
また、泣かれた。
きっと明日は、彼女の友達に問い詰められるのだろう。
酷いじゃないか、好きな子が居るならそう言えば良いのに、彼女は本当に貴方が好きなのよ、付き合ってる子も好きな子も居ないなら付き合ってみれば良いじゃない。
…どうして、他人の恋愛にそうも真剣になれるのだろう。
ぼうっと、凄い剣幕で言い募る彼女の友人を見ながら、いつも雨竜は思う。
本人は、もう良いから、と後ろで小さくなっているだけ。その姿は、まるで彼の前で萎縮してしまう自分のようで、腹が立つやら愛しくなるやら。
「…僕を、いい加減な男にしたいのかい?」
静かに言えば、大抵相手は黙る。
「待っているから。そう言ってくれるのは嬉しいけど、そんなのは、君の新しい機会を奪うだけだ。そんな事、僕にする権利なんてない。だから――」
僕みたいに、いつまでも縛られるのは、莫迦らしいよ。
言葉にならずに俯く。
なにやらまだ不満げにしている友人の手を引いて、彼女は言うのだろう。
「ご、ゴメンね、迷惑だったよね…っ」
「君が謝る必要なんて、ないよ。僕こそ、ゴメン。上手く言えなくて」
「もう良いからっ!」
彼女は泣き出しそうで、友人は雨竜を責めるような目で見る。彼女を二重に苦しめているのは、その友人の存在じゃなかろうか。思っても、口には出さない。
自分一人が悪人になれば良いなんて思ってない。なれるのならばなりたいけれども、それは楽な道だから、誰も選ばせてなんてくれない。多分、相手が良い子であればあるほど、彼女は自分をも責めるのだ。そんな必要もないのに。
それは、とても心苦しい。
明日の様子を想像して、雨竜は重い溜息を吐いた。
物好きにも、自分を好きだと言ってくれているのだ。受け入れられれば、きっとそれは甘ったるくて楽なのだろう。でも、それが自分の欲しいものでない事に気付いているから、受け入れられない。受け入れたところで、空白は埋められない。一方的に注がれる愛情はきっとその内に重荷になる。気持ちがないのに、返す素振りなど出来ない。
私が好きなら、それで良いの。なんて綺麗に見える押し付けも、真っ平御免だ。
――それに、滅却師のことだとか、言える筈もないしね…
自嘲的に笑った雨竜の足が止まる。
ダラダラと考えているうちに、目的地まで来てしまった。そっと伺うように二階を見上げる。厚いカーテンを透かして、まだ部屋の明かりがついているのが解る。
ちょっとなんだけどな。あと、ほんの数メートルで彼に会えるのに。
カーテンは、部屋の内部の動きまで見えるほどには薄くなくて、彼が何をしているのかなんて解らなかった。
見上げる頬に、ポツリ、と冷たいものが当たった。
「……あ……」
雨だ。
思う間もなく、ザッと雨が降り出す。周囲に雨宿りする場所なんてなく、雨竜は立ち竦んだ。
雨に紛れてしまえば、泣くことも出来るだろうか。
見上げる窓に変化はなく、雨竜は胸が締め付けられる。
「黒崎…」
堪えきれずに名前を呼ぶ。
一体如何してしまったんだろう。自分は、もう少しマトモだった筈だ。冷静で居られた筈だ。誰かのせいで、振り回される事なんて有り得ないと思っていたのに。
「…………僕は――」
君が、好きだ。
唇だけで囁けば、その自分の言葉に押し潰されて涙が溢れてきた。
好きだ、なんて、言ったら自覚してしまうだけなのに。だから言いたくはなかったのに。
頬に伝わる雨粒は冷たく、涙は熱く、俯いたらもっと切なくなりそうで、雨竜は暗い空を見上げる。
何も見えない。自分の心のように。暗い、痛い。
「逢い…たい…」
一言で良いから、彼の声を聞きたい。苦しい。
――もう、イヤだ。
呟いて、来た方向へと振り返る。これ以上此処に居ても無駄だ、濡れたままでは風邪を引く。そこまで芝居じみた事を続けるつもりはないし、そこまで陶酔しても居ない。数歩歩いたところで、カラリ、と背後で音がした。
「…あ…?」
声がする。
驚いて後ろを見ると
「石田?」
一護が窓から顔を覗かせていた。
「あ…え…? く、黒崎?!」
狼狽えて、声が裏返る。驚いたような顔をしていた一護は、眉を寄せて不機嫌そうな顔を作る。
――怒られる。
瞬時に思って、逃げなきゃ、と再び振り向く。
「待てっ、動くなっ!!」
動こうとしたところで、怒鳴られた。その声に、ピタリ、と足が止まってしまう。
「は…?」
「今から行くから、動くなよ」
一護は言って、窓を閉めた。
なんだ?
疑問に思うと同時に、玄関が開いて一護が飛ぶ出してくる。
一護は手で庇を作るようにして雨竜の傍に駆け寄ってくると、強引に手を引いて病院の軒下へと引っ張っていった。
「離せ、黒崎」
手を払うと、僅かに濡れた一護が怒ったような顔で雨竜を睨んだ。
「なんでお前、此処にいんだよ」
「な、なんでって…たまたま、だよ」
どきり、として視線をそらす。けれど、その向けた横顔に突き刺さる視線が痛くて、今度は俯いた。
「君こそなんでこんな時間に、窓なんて開けるんだい」
そんな気紛れ起こさなければ、自分が居たことになど気付かなかっただろうに。
視線を合わせようとしない雨竜に苛苛しながら、一護は答えた。
「俺か?
俺は…雨が降ってるって気付いて」
部屋の中、雑誌を見るともなく開いていたら、窓に雨粒の当たる音がした。
雨が降っている。思って瞬時に連想したのは、その名に同じ文字を持つクラスメイト。
「そうしたら、お前を思い出して」
今頃どうしているのだろう、と思った瞬間、何故か雨竜が泣いているような、気がした。
「泣いてる、って思って、慌てて窓開けたら――お前が居た」
霊力を探ることも出来ないくせに、どうしてこういう時だけ鋭いのだろう。
雨竜は、泣きたいのだか笑いたいのだか解らずに顔を歪める。
「泣いてないよ、雨に濡れてるだけで」
見られないように眼鏡を外して、そっと涙を拭う。
気付かれたくなどなかったのに。じっと地面を見詰めながら眼鏡を掛けなおすと同時に
「声が震えてるっつーの!」
そう言われて、抱き寄せられた。
・・・ N E X T ・・・